Close
カートを表示 “場所的個としての覚者 ―人類進化の目標―”をカートに追加しました。

祈りと救い ―真の祈りとは何か―

¥ 2,243 (税込)

祈りの目的や祈りの内容について具体例をあげつつ説明。
さらに、その目的、内容によってどう祈ればよいか、また、神の御心に沿った祈りとはどういうものかについて語る。

神仏に祈る人は、現実をどう生きたらよいのか。
苦しみや悩みを越え、愛と智慧とに満ちた自由な境地に達し、自分の周囲に幸福と繁栄をもたらすにはどうしたらよいのか。
すべての存在が神に近づき、神と合一する方法についても著者はやさしく語る。

四六判上製 232頁

本体価格:2039円

ISBN:978-4-87960-033-2

商品カテゴリー: Product ID: 1391

説明


 人間は、日頃信仰をもっていなくても、困ったとき、自分の力や智恵ではどうにもならないときには、思わず「神様(あるいは仏様)、お助けください」と願う、これが人間の自然の性であると思います。
 私は長年、玉光神社の宮司として、信者の皆さんの種々の悩みごとを聞き、三昧に入って、その原因は今の本人にあるのか、前生にあるのか、また、家のカルマによるのか、土地のカルマによるのか等、神様のお助けを得て超意識に明らかになったことをその人に教え、神様に、その原因を解き、救っていただけるようにお祈り申し上げてきました。
 お祈りは大きく分けると、自分のための祈りと、他人や家や国や地球のための祈りとに分けられ、これらの祈りはまた、この世的祈りと霊のための祈りとに大別されるように思います。
 神様はどんな強慾な祈りでも、少々ふまじめな態度の祈りでもきいてくださるかといいますと、ただ自分のためだけの利己的な祈りであっても、ふまじめでなく、まじめに一心に、我を忘れてお祈りすると、きいてくださる。その祈りの内容を叶えてくださる。しかしその御神意は、そんなにも一心に我を忘れて祈れる人を、霊的に成長させるためなのです。
 人間は、自分のためだけに種々のことを行ない、他を排して自己を保全しようとするのが常ですが、これは、自分が自分だけで生きることができるという誤った考えをもっているからであり、自己保全の本能に支配されているからであります。しかし、親から生まれてこなかった人間は誰もいないし、土地や空気、食物がなかったら誰も生きられない。自分ひとりだけで存在しうるものは、絶対者、神以外には、なに一つとしてありえないのです。この世も、この世だけで存在しているのでなく、あの世、すなわち霊界、さらには神様の世界と密接な繋がりにおいて存在しています。
 これらのことを自覚できない無明、無智の状態で生きているのが、我々人間であります。
 我を忘れてお祈りのできる人は、我を忘れて神に向いた状態のとき、霊の世界、神様の世界との繋りができる。そのとき、この世の利己的な強慾な祈りでも、祈る人や祈りの事物への、霊の力、神の力の流入を得て、祈りが成就される。このとき、この人は、人間の存在をこえた世界、霊や神の世界に触れ、このことを契機として、あらゆる存在の相互依存性、無自性性(それ一つでは何物も成り立たないこと)を次第に自覚し、また、霊界や神の世界の実在を知り、霊的に目覚めよう、霊的に成長しようと、努力するようになります。
 神様は、このように、人間を霊的に成長せしめ、霊界と現世に調和と進化とをもたらし、宇宙に平和と繁栄をもたらせようと、意図しておられるように拝察されます。
 物質文明になかば酔い、なかば目が覚めてその限界を知り始め、核戦争の恐怖を次第に自覚し始めた人類は、今、霊的に成長し、進化することの重要さを、少しずつ知り始めたように思います。
 今こそ、霊的成長を得るための祈りが大切だと思います。
 我を忘れて神に一心に祈れる人は、たとえその祈りが自分のためだけの祈りであっても、神様はその祈りを叶えて、その人に霊的成長の機会を与えてくださると思います。こぅしてその人は救われ、次第に霊的成長を遂げてゆくことができます。
 このように霊的成長を遂げた人たちが、新しい世界宗教をつくり、真の世界平和を築くことができ、霊界と現界との間に、調和と平和とをもたらしうるのだと思います。
 読者の一人一人が本書を読まれて、霊的成長を得られるように祈られんことを希望します。

1985年10月10日