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玉光神社 教祖自叙伝

¥ 4,400 (税込)

著者:本山キヌエ

玉光神社教祖の生い立ち、幼少時の霊的体験、玉光大神様に御降臨を頂いて修行に励んでおられた頃の数々の奇跡、神様の御慈悲、御神事、悟りの境地の進化、太平洋戦争中のお祈り、世界平和のお祈り、七星会(精神統一の会)の土用の行、寒行での神秘的体験等について自ら書かれたもので優れた宗教者の魂の進化発展、悟りの階梯を知る上に貴重な記録である。

A5判上製 246頁 

本体価格:4000

ISBN:978-4-87960-015-8

商品カテゴリー: Product ID: 1465

説明


母(玉光神社教祖)が自分の生い立ち、幼少時の霊的体験、玉光大神様に御降臨を頂いて修行に励んでいた頃の数々の奇蹟、神様の御慈悲、御神示、悟りの境地の進化、太平洋戦争中のお祈り、世界平和のお祈り、七星会(精神統一の会)の土用の行、寒行での神秘的体験等について自ら書かれたのが本書であります。

優れた宗教者の魂の進化発展、悟りの階梯を知る上に貴重な記録であり、神の御経綸、この世と魂の世界の関係、人間や草木に至る迄の生命と心のしくみ、カルマ(因縁と業)の本質等を体験を通してたくまずして教えてくれる稀な本であります。

宗教的修行に励んでいる人にとっては行の体験の記録を通して今自分がどこにいるか、どちらの方向に進んでいるかが解るでしょう。人生の困難や病気に悩める人には温かく大きな優しい力と励ましが与えられるでしょう。人生如何に生くべきかに悩む若い人達には、人間の本性、人間の歩むべき道を教えてくれるでしょう。幸福な人には真の幸福の意味を教えてくれるでしょう。

ともかく万人必読の書であると思われますので、心からおすすめします。

国際宗教・超心理学会会長 文学博士 本山 博

第一章 自叙伝

一、神助
二、生い立ち
三、幼少時の霊的体験
四、御神名の由来と母の信仰
五、神に召された頃
六、御神示の数々
七、国土安泰の祈り(そのー)
八、国土安泰の祈り(その二)
九、因縁と神の御慈悲

或る父娘 山崎朝雲先生のこと
寒山像のこと 長瀬吉太郎ちゃんのこと

十、神の奇蹟
十一、神の経綸

第二章 神のお導きとお論し

一、戦争中のお祈りとお導き

戦争と平和のお祈り 戦争中のお導きの数々

二、S社のこと

H教団C解散 S社の設立

三、草木の生命と心
四、世界平和の祈り
五、神の奇蹟とお諭し(未整理のノートから)

第三章 行体験の記録

一、七星会によせて
二、瞑想体験の記録(図解)
三、土用の行の記録
四、玉水

第一章 自叙伝

一、神助

投身と大神様の御降臨

私の生い立ち及び昭和七年二月六日(旧十二月二十三日)、玉光大神様のお救いを頂きましての御降臨からの事柄をここに記します。

明治四十二年三月十三日、山口県大津郡三隅村字市、父本山与吉、母ひさの四女として生まれ、十三歳の時、小作農の事とて家が貧しく親のために姫路に子守奉公に出ましたが、半年ほどの内に病気になり、国元にかえされました。それからまた山口県湯田にゆき、萩の姉の家に戻り、岡山へと移り住み、二十三歳のとき讃岐小豆島へ渡り、ようやく独立でき、安定した生活ができるようになりましたので、国元から貧しい中で大勢の子供を育て、酒乱の父に仕え、また酒に目のない兄の為に苦労の限りをつくしていられる気の毒な母を引き取り、孝養をつくしておりますところへまた病気にかかり、何事も思うようにならず、世をはかなみ、母のすきを見て双子の浦から投身自殺を計りました。この時不思議に頭上から神様のお声が聞こえお姿が見えてまいりました。この時、何事にも動じない強い強い力が体中にみなぎってまいりました。(それからいつとはなしに病気も癒え、永い年月苦労にひしがれた心も明るく希望に満ちてまいりました。)神様のお声があって、

『吾は天津神玉光大神なり。今から五年の後には天がさかしまになるような戦争がおこる。それを救わんが為に下りたるものぞよ。母親の日常の信仰と汝の孝養にめでて命をたすけ、吾の代人として仕えさす。再びこのような事をしてはならぬ。心をしっかりもってますます親に孝養をつくせ。決してこまらせはせぬ。』

とのお言葉が聞こえてまいりました。

私が急にいなくなったので心配して心あたりを尋ねあるいていた母が、もしやと思い付き双子の浦に尋ねてまいりましたとき、母の目に映りました私は、すでに大地をけって海に身を投げているところでした。

母が驚いて、地にぬかずいて日頃信仰していられる金光教の天地金の神を祈りましたところ(母は金光教の深い信者でした)、不思議に私の身体が宙に浮き、元のところにつきかえされました。喜んだ母は、放心している私を介抱し、さとしていると、再び神様がお降りになって、

『心配はいらぬ。この後は娘は吾の代人として世の為人の為に立ててとらすぞ。安心して吾にまかせよ。これからは吾を玉光大神と呼べ。玉は慈悲心を表わし、光は智恵を表わしてある。人を救い導くには、智恵と慈悲心がなくては人を救うてはゆけぬ。吾のこの名は、一つには汝にあたえた名であるぞよ。玉みがかざれぱ光なしとの諺の如く、いかに名玉でもみがかなければ光を放つものではない。よくよく努力精進せよ。』

とのお言葉が御座いました。母も初めて安心し、神様に御礼を申し上げ、お誓い申し上げて山を下ってまいりました。私もこの出来事を不思議に思いながらも、御神言や御示しに従うようにお誓いしてかえりました。
-後略-