説明
この本は、御神示に従って一生を懸命に生きてきた一人の宗教者の、神様と人間の関係とは何か、神霊の世界、神の世界への歩み――修行、達成――、さらに進化の途を限りなく歩み、その霊的成長、神への近づきを一歩一歩達成した各段階で、人びと、信者、日本、世界を如何に支えてきたか、自然を支配する神通を得て人びとのために如何に役に立てたか、死にかけた人、一旦死んだ人をどのように生き返らせたか、祈りによって日本を、世界を如何に支えてきたか、等について、折々、思いつくままに記したものである。
神の道を教育の場で教えるためにアメリカに大学院大学を創り、宗教、哲学、微細エネルギー系を測定するAMI(経絡―臓器機能測定器)を作って経絡の証明を行ない、同時に、チャクラ(霊体のエネルギーセンター)の存在を間接的に証明し、チャクラを通しての物理的エネルギーと霊的エネルギーとの相互転換と相互作用とを電気生理学的に証明し、精神身体医学では精神と身体との相互作用のメカニズムがほとんど解明されなかったのを、解明する一つの方法を見出した。
同時に、魂の存在を、間接的ではあるが明らかにする科学的方法、学問を創った。これは、現代の医学は細胞、DNA等、身体の物質面、生化学的面の追究に明け暮れ、生体の六〇%を占める体液系の研究をなおざりにしてきた。このなおざりにされた体液系、微細エネルギー系の解明に励み、東西医学の架け橋を作る一つの大きな手がかりをみつけた。同時に、上述のように、魂の科学的証明をする新しい学問を創ったように思う。
これらのことを明らかにできたのは、「一つの聖なる存在=場所的個としての覚者」を自覚できてからである。この境位で、人助け、社会、国、地球社会の進歩のために、常に神に祈りを捧げることを通じて体験したことの一生の記録が、この本である。
このような修行と霊的進化の記録を本にすることは、悟りへの修行に励む宗教者にとっては有用である。しかし他方、一般の人にも、この本を読んで戴きたいと願っている。
現代では、人間の本質は魂であり、魂は大きな宇宙的進化の一階梯にあるが、今は四百年ほど前から発達してきた現代の科学の発明、発見、発達に眩惑されて、科学の成果にすっぽり浸って魂のことをすっかり忘れ、個人も社会も、経済界、政界、産業界も、自らの利益を求めるのに精一杯である。共存していくべき自然を尊ぶ心がなく、唯自然を物として利用することに明け暮れている。
魂を忘れて、温暖化、自然破壊が進む中で、人間は本当に生き残れるだろうか?
百年、千年の後に生き残れるだろうか。
魂に目覚め、人間や自然への愛、思いやり、すべてを生かす智慧・創造力を働かせ、滅びへの道でなく、凡ての民族が愛と智慧に満ちた、共存、地球社会、自然との共存の社会をつくり出すことが人類の急務であることを、本書より読み取って戴くことを念願して、序文を終えたい。
本山 博
- 絶対とは何か
- 神様から授かった学問の確立からの解放感
- 根府川の断食道場にて
- 自然環境の中での生活の仕方、習慣で、物の考え方が定まる(東北大震災で示された日本人の心)
- 科学的認識の限界
- 普遍的真理はあるのだろうか
- 細胞内の水、真皮内の水
- 神と人間、霊的成長
- 私の一生(人間)
- 人間と魂の認識の違い
- 生と死と霊的成長と悟り
- 霊界への移行
- 老いる
- 感覚、主として視覚に基づく科学的実証の限界
- はかない人間
- 枹の木の魂
- 魂=人間にとって一番大切なもの
- 遊びの余生
- 五十年前と今
- 瞑想と、皮膚の電気生理学的研究
- 狭い家
- 真理の探究を一生続けたいと思った時
- 「勉強に励めば幸せ」と実感したこと
- びっくりしたこと
- 嬉しかったこと、腹の立ったこと
- いったい何が真理なのか――哲学科に入った理由――
- 一生の仕事が終わって(行の要点と目的)
- 私への御神言を戴いて七十三年経った今
- 言葉を話す人間
- 真の信仰者
- 思い出すままに
- 田舎のオジキ電車――海軍予備学生――
- 弘法の滝、AMI、経絡の科学的発見の土台
- 継母の根性
- 水晶山へ行く
- 山犬に追いかけられる(ダケ山)、小豆島では山犬をライオンの声で追い散らす
- 場所的個としての聖者
- 場所的個
- 思い出すまま―― 実母のこと、養母のこと、自分のこと
- 人間、未熟だが不思議な存在 ―― 進化する魂 ――
- 行によって、人間は欲望に満ちた殻を破って自由になり、土地、人々を支え生かすことができ、しかも、同時に、全くこれらから離れた高い境地に場所として存在しうる
- 妻のこと
- 日本の医者とアメリカの医者
- 天気過敏症 ―― 経絡体操 ――
- 年が寄ったら日本食がよくなった
- 人間、このはかないもの(有意義に生き、人々の支えになっただろうか)
- お寺のギンナン
- イチョウの木とビワの実
- 祖父に、堆肥の藁と牛の糞を混ぜさせられる
- お寺のギンナンと、せんべい屋(五~六歳)、薬屋のおばさん(セミ獲り)
- デニスのこと(いつまでも魂の弟子)
- ガキ大将
- 田舎のガキ共と、祖父
- 真理とは何か(一)
- 真理とは何か(二)
- 小学一、二年の裸免状(六十人中十六番)よし、一番になろう!
- ドイツ語と哲学の勉強は、師範学校の三年生の時から始めた(師範学校の教科にはなかった)
- 小学校の先生にはなりたくない
- 人間は何のために生まれるのだろうか
- 師範学校入学(十四歳)と、小豆島御本宮建設
- 初めて自分の家をつくった
(数え年十八歳、満十六歳、友達の牛との別れ、悲しかった) - 人間について
- 神主にはなりたくない
- 世界中の人々が仲良く助け合って暮らそう
- 汽車の線路の上に寝る