説明
二十二歳から八十八歳になる今日まで、人間とは何か、その本質は何かについて、六十五年余り、命をかけて探求してきた。
大学を出、アメリカ・デューク大学に招かれて、デューク大学のライン教授の超心理学研究所から五百ドルほどの(当時は1ドル三百六十五円)、当時の日本の国立大学の教授より多い給料を戴いた。
さらに研究費として三千ドル~六千ドルを戴き、帰国後も、給料として毎月三百ドルを三年間戴いた。
それによって買いたいと思っていた脳波計(十二チャンネル)等を買うことができ、宗教心理学研究所に四~五人の国立大学大学院卒(生理心理学、哲学等の専攻の)所員を雇うことができ、私の念願である、宗教的行によって、魂が人間存在の枠を破り、次第に神霊的存在に進化する過程において、意識されない、各臓器を支配する自律神経の働きがどのように変化するかを、多くの被験者を得て、調べることができた。
その結果が、多くの海外の、宗教心理学、生理心理学、超心理学の学会誌に掲載され、次第に、本山の研究、本山学が海外に知られるようになり、学外のドイツ・マールブルク大学、アメリカ・デューク大学、イギリス・エクスター大学、インドのラジャスタン大学、ヒンズー大学等の学会誌に載るようになった。
海外からの大学の助教授、助手クラスの留学が増えてきた。海外の大学で一週間~二ヵ月位の集中講義も増えて、その間に、AMIを使って、各国のヨーガの行者、学生、一般人等を被験者にして、ESP、PKが生じる時、生じない時の自律系、脳波、心電図の違いを測定し、それに基づいて多くの論文、本を書き、その大部分が三十五ヵ国語に訳され、世界に本山学が知られるようになった。
これは、私一人の力でなく、研究所の所員、海外の大学の教授達によって支えられて出来たことである。
人間とは何か。その本質として魂が存在することを、六十五年余りかけて明らかにできたと思う。
人間の本質は愛に満ちた魂であることを、世界の人びとや読者の皆さんが自覚してくださることを願って、序文を終えたい。
2012年9月2日
本山 博
序
- インドでの思い出
- いい所だな
- 地べたを這い回る人間
- 人間の習慣を変えるのは大変
- オーストラリアの毒ダコ
- 北向きの窓
- 狭い自動車道路
- 縁のある場所
- 人間の認識能力、魂の認識能力――人間が進化しうる理由――
- 感覚的認識と霊視の違い
- 真理探究心のこと
- 元気が戻る
- 人間の本質、魂の目覚めと、魂による認識
- お代様のこと
- 頭と目を使いすぎて、読んだり書いたりができない状態の二週間
- 魂の、身体に制約されない自由な働き
- 後世に残り、人々を導く仕事
- 年が寄ると、忘れっぽくなる(体力が落ちる)。だが順序よくものを纏められる。これは魂が働くからである
- 魂こそが人間の本質
- 真理の探究
- 身体がオンボロになってきた
- 播磨の光明寺の僧兵
- 杖
- 何もしたくない時と思っても、なかなかそうできない
- 後世に伝えたいこと
- 井の頭公園へ自転車で行く
- 本山哲学の学会での継続
- 伊豆高原に来て(一) 皮膚の等価回路のコラーゲン繊維(絶縁体)とその上下の水の層(導体)について
- 伊豆高原に来て(二)
- 土地の魂
- 「地球温暖化と人類絶滅」を読んで
- 人間の死後の存続と生まれ変わり
- 人間はなんとも不思議なものである ――小学生の頃のこと――
- 自分の服装について(勉強がおもしろい。世界の学者になった)
- 額のかゆがり(東西医学の統合が必要)
- 夏の暑さと年齢
- 快適なハワイへ行きたくなくなった(人を雇う時の条件)
- 本山学について 土地の魂と一つになる、井の頭の土地
- 歩く動物、人間。個人的且つ社会的動物
- 人間の認識力と魂の認識力との違い
- 皮電計(GSR)とAMIの違いについて
- 五感を超えた、霊眼でみる多重次元の宇宙
- ハッブル望遠鏡でみた宇宙
- 本山の新しい哲学と生理心理学
- 天気がいいと、気分も体も上天気
- 何もしたくない
- 歩き、働く人間、何かを考え、発明、発見をする人間、同時に壊す人間
- 箱根へ行って面白かった。生まれた日本はよいところである
- 蒸し暑い日本の夏
- AMIを作る過程
- 伊豆高原で
- 東京に帰って
- この頃の日常生活
- 生涯の研究 ―魂との出会い―
- もう一生の仕事がすんだと思った後の感想
- 物理的次元の感覚とその対象(物、人)と、霊的次元の感覚とその対象(霊的物と魂)との違い
- 神を信じ、信仰をもつと、物や仕事を大きく成就できる