説明
幼少の頃の、母に連れられて山野で瀧行その他をした時に得た神や霊との神秘体験、2 4歳から始めたヨーガ行を通じて数年間に得た神秘体験等に基づいて、拙著『超感覚的な ものとその世界』の内で、神秘体験を存在論的立場、生理心理学的立場、深層心理学的立 場などから解明を試みた。
その後、40年近く経った。その間に、超常現象の生物物理学的実験法、経絡の解剖生 理学的証明等の科学的実験法を開拓して、超常現象の解明を続けてきた。その間、たゆま ずヨーガ行の瞑想を続けつつ、心霊相談を行ない、種々の次元の神秘体験を得ることがで きた。
40年前には理解が十分でなかった、心や魂に対する物の力、働き、種々の次元の霊界 での身体、物の力の働きや性質が次第に明らかとなった。
その物の力、秩序への以降、凝 縮の原理が、カルマをつくり、人を無明に導く原理であり、それの精神の愛の原理による 克服が、神秘体験の深化、霊的成長、遂には解脱、悟りへ導くこと等を明らかにしようと 試みたのが本書である。言うてみれば、著者のヨーガの行、超常現象の科学的研究を通じ て達成したのが魂の成長の記録とも言えるのが本書であろう。
読者の皆さんが、人間は単なる物理的次元の身体や心で終わるものでなく、魂の神にも 至る無限の可能性と、死後の霊界の存在、霊界やカルマを超えた悟りや解脱の世界がある ことを知り、その悟りを得た人は他の人びと、自然と共存し、互いに助け合い、物や人や 自然に清らかな愛の力で大きな影響を与え、助けることができることを知って戴き、皆そ れぞれに霊的成長をしようと願い、努力されることを著者は心から願うものです。
尚、本書は、1986年から1990年迄に行なったIARPの上級クラスのための講義を2冊の本に纏めたものの第一巻です。題や内容の重複しているものがありますが、違う角度から説明、考察していますから、よく読んで、一つの問題、事柄を広く深く理解して欲しいと思います。
【目次】
序章 宗教経験について
- 宗教経験と宗教生活
(1)宗教経験とそれに基づく生活
(2)神様の理解の二方法と物化現象
(3)外形としての伝統
(4)神霊との時空をこえたつながりの二種
(5)真の宗教的生活 - 東西の宗教の特徴と比較
(1)キリスト教と合理主義
(2)トランスパーソナルな心理学を生んだ精神的風土
(3)アジアの宗教、共同体意識 - 宗教経験の定義
(1)究極の実在との存在交渉
(2)究極的実在との全存在的交渉
(3)人間に可能な最も強烈な体験
(4)人間の行為を強制する命令を含む
(5)大いなる力の経験
(6)大いなる力は人知と人力をこえている
(7)より大いなる力は神秘である
(8)宗教経験によって真の智慧が生じる
(9)宗教経験は多くの次元をもつ
1章 アストラル次元の宗教経験
- アストラル次元における精神集中、瞑想
(1)精神集中
(2)瞑想
(3)瞑想と催眠、精神集中の違い
(4)アストラル次元の部分的合一の特徴
(5)精神集中から瞑想へ
(6)アストラル次元の瞑想段階での体験と現象
(7)アストラル・プロジェクション(幽体離脱)
(8)精神異常か、ノイローゼか、霊能かを区別する基準
(9)二重認知・・・アストラル次元の超感覚と物理的次元の感覚 - アストラル次元の三昧
(1)精神集中、瞑想を経て三昧へ
(2)三昧力 (3)三昧の次元
(4)アストラル次元及びそれ以上の次元の三昧
(5)アストラル次元の場所 - アストラル次元、カラーナ次元、プルシャ次元の三昧の比較
(1)三昧に入る前には魔に出会う
(2)三昧に入る前の恐怖心を克服する信仰心
(3)三昧に入る二つの道
(4)トランス状態の三昧と、目覚めた三昧における場所的個の相違
(5)場所的個となり、超意識に目覚める
(6)アストラル次元の超意識
2章 カラーナ次元の宗教経験
- アストラル次元とカラーナ次元の宗教経験の比較
(1)五つのプラーナとそのバランス
(2)カラーナ次元の心と身体
(3)カラーナ次元の性別
(4)カラーナ次元の存在との一致
(5)瞑想における身心の状態の相違 <上実下虚><下実上平>
(6)カラーナ次元の存在との宗教体験
(7)カラーナ次元の霊との一致で生じる超能力 - アストラルとカラーナの三昧の違い
(1)人類の進化と宗教
(2)心の自由
(3)アストラル次元での三昧
(4)カラーナ次元の三昧で身体の浮揚
(5)生理学的観点からみたアストラル次元とカラーナ次元の三昧で 生じる能力の違い
(6)自分を客観的にみられる - カラーナ次元の宗教体験
(1)気、経絡について
(2)カラーナ次元の存在について
(3)カラーナの心と身体
(4)性別はあるが、重要でない
(5)カラーナ次元では多数の存在が一つとなり、一つのものが複数となる
(6)カラーナの存在との一致に至る条件
(7)下実上平
(8)カラーナの次元の存在との一致の特徴
(9)カラ-ナの次元での目覚め―霊的成長―によって生ずる心身とその能力における変化
付録―IARP上級クラステキスト 註
(六)アストラル次元での瞑想段階における体験と現象
では、『超意識への飛躍』の七九頁、後ろから五行目からのところを読んでみましょう。
これから話すところは、アストラルの心や身体が動きかけるとどんな現象が起きるかということと、それと催眠現象とは違うのだということです。霊的に少し目が覚めてきてこういう現象が起きてきた時には、それが実際の宗教経験の或る一つの段階なのか、あるいは単なる催眠現象の一つなのかと皆がよく迷うのです。それと、本当に自分が霊的にどういうところにいるのかということについて迷う場合が多い。それで、迷わないで真っ直ぐやっていける目安のようなものを、はっきりここで理解をしてほしいと思います。
では、読んでみましょう。ヨーガの行法の一つにトラタカというのがあり、ローソクの灯をじっとみつめるようなことをしますね。そしてそれにだんだん集中がうまくできて、ローソクの灯と一つになったような状態になってきたらどんなことが起きるかということについて書いてあります。 「さて、実際にずっと坐っていると、例えばローソクの灯になってしまったようになる。音なら音になってしまったような状態になるわけです。だけれども、ローソクの灯を目をあけて見ると、依然としてローソクの灯はそこにある。自分の身体はここにある。だけども、実際にローソクと一つになった現象というか、そういう状態になるわけです。」
じっとローソクの灯をみつめて、ローソクの灯に集中をしているうちにそれと一つになってしまった状態になった時というのは、目をつぶってみると、自分の身体が一つのローソクになってしまって、頭の辺がボーボー燃えているようになるのです。いかにも自分がローソクになってしまったように思うのです。実際そういう実感が出てくる。自分がローソクと一つになっている状態なのだけれども、目を開けてみると、自分の身体はここにあって、ローソクは自分の向こうにあって、やはり別のものなのです。
そういう時に、一つになったような状態は、ただの幻だったのだろうかと、心の中のどこかで思うのですが、しかし実際はアストラルの次元でローソクと一つになっているのです。アストラルの次元でローソクになっているが、アストラルの次元というのはまだ充分に現実のものをコントロールできない、コントロールする力が弱いから、ローソクを作ったりあるいは壊したりはその次元ではまだできない。ですから、ローソクの灯そのものと一つになったような状態にアストラルの次元でなってくると、その状態では、まだ灯を消したりつけたりは難しい。しかし、ローソクの灯を激しく燃やしたり小さくしたりすることはできるのです。
カラーナの次元でローソクと一つになると、じーっと見るだけで、ローソクの灯をつけたり消したりはできるようになるのです。ところが、催眠の状態の場合はただ思っているだけだから、催眠状態の時はローソクと一つになるといっても、ローソクの灯には何の変化も生じない。ところがアストラルの次元でローソクと一つになった時は、灯の大きさに変化を与えうる。そこが催眠の状態と非常に違う。それから、外のローソクはこんなに小さい。ところがアストラルの次元でローソクと一つになってボーボー燃えている時には、自分の身体全体がローソクのようになってしまうから、それがアストラルの次元のローソクなのです。だから現実のローソクとアストラルの次元のローソクとは違うのです。
そういうふうになると、催眠術とは違って、外の物理的な次元のローソクの状態が分かるようになります。今どうなっているか、短いか長いか、炎がどうなっているかが分かるようになる。ですから、一種のESP、超感覚というものが起こるようになるわけです。それがアストラルの次元の宗教経験なのです。
ただ、その分かる時に、アストラルの次元で分かるものと現実のものとの間に少しズレがあるのです。物理的な次元そのものをみられるようになるのには、カラーナにまで上がらないとみられない。
アストラルの次元で物、たとえばこのボールペンを見る時は、ここが黄色で、ここに字が書いてあること、また、その字の意味もきちんと分かるのです。超感覚的に意味も形も分かるが、たとえばここにみえる矢印の形が少し尖ったようになったりあるいは丸くなったりというふうに、アストラルの次元で見る時には、現実の形とは少し違いが出る。けれども、ここに「ゼブラ」と書いてある、そしてここが矢印になっているという、それは間違いなく見えるのです。意味の上では一致がある。
ただ、形の上では 少々の違いが出来てくる。全ての現実の物はアストラルの次元をもっているわけですから、アストラルの次元において存在しているこれをアストラルの次元で見ているのと、現実の物理的な次元において存在しているこれを物理的次元で見ているのとは違う。けれども、意味の上では一致している。形の上では少々の違いがある。
そこが、アストラルの次元 で物を見る時と現実の物を見る時との違いなのです。そういうズレがある。それは次元が違うからなのです。ただ、大事なことは、意味の一致ということが非常に大事なのです。
ここに「ゼブラ」と書いてあるのを、「ゼブラ」と読めないで違うことを言うようでは、本当にアストラル次元でこれを見たかどうか怪しいわけです。
感動の連続です。ずっと以前から先生の「密教ヨーガ」という本で自修してきましたが、この本を新たに座右において、さらに研鑽したいと思います。ありがとうございました。 (O・Sさん 高知県 男性 65歳)
同種の本を手あたり次第読みましたが読めば読むほど頭が心が混乱してきました。この本を読み神々の種が宗教によりそれぞれ呼ばれていることがわかり、根元は同一なのだとわかりました。付録P213~大変ためになりました。 (Y・Mさん 東京 女性 自営業 49歳)
少しむづかしいところもありましたが自分の体験にてらし合わせて理解ができました。本山先生の本は29年前位に「密教ヨーガ」の本を購入し自己を磨くことが出来て以来、目につくと買ってみたり又何度も繰り返して読んでいます。 (K・Kさん 京都 女性 主婦 73歳)
他の先生のご著書をますます読みたくなりました。とりあえず種々相の(2)を! (S・Tさん 50才 女 群馬県)