説明
この本は、この二~三年の間にIARP(国際宗教・超心理学会)の年次大会や支部で、「宗教と科学の統一」「宗教の進化」「ホリステイツク医学」等について話したものを一冊に纒めたものである。
科学は、西洋のキリスト教圏で、千年余の年月を費して次第に発達して、今日の隆盛を来した。
併しキリスト教は、キリストの死後百年~二百年の間に出来た教父時代に、「不合理なるが故に信ずる」といった思想に端を発する、所謂奇蹟の概念を規定し、これが自然科学の必然的法則を犯すことになり、千年余りもキリスト教と科学との間には争いが絶えなかった。
キリスト教のドグマから離れて普遍的宗教の立場に立っても、科学と宗教は相争うものなのだろうか。
宗教は、科学の根底にあって、これを支えるものではないのだろうか。
これらの問題に対して、チャクラ(Psiエネルギー系のセンター)への精神集中によって生み出された光の現象の生物物理学的研究結果を通して、答えを出してみた。
それは、宗教と科学は矛盾するものではなく、キリスト教の奇蹟の概念は否定されるべきものではないか、宗教は科学の根底にあってこれを叉えるものである、ということである。
この宗教は、キリスト教、仏教、回教等々と言って相鬩ぐべきものでなく、宗教は進化して世界宗教にならねば、真に人類を救えない。
地球の宗教でなく、宇宙の宗教に進化すべきである、ということを、「宗教の進化」で、宗教体験を元にして述べてみた。
宗教の進化は、一面では宗教者自身の心の進化、存在の進化に基づく。
その進化体験において、人間存在は決して物理的次元だけのものでなく、アストラル、カラーナ等、多重次元の存在を同時にもつ一全体であることが解る。
従って心身の病気も、どの存在次元に主たる原因をもつかによって、当然治療法が異なってくる。
このことが、西欧及びアジアの医師を含めた識者の間で次第に認識されてきて、アメリカ等ではホリスティックメディスン(綜合医学)の学会が数年前に結成されて研究と治療が進められている。
「ホリスティックメディスン」では、人間存在の多重次元性を踏まえて、ホリスティックメディスンはどうあるべきか、気のエネルギーが人間の多重次元の各存在に関連して働く一つの統一原理ではないかということを、種々のデータを見つつ明らかにした。
「ホリスティックメディスン」の補追は、多重次元の各存在の何れに原因がある時どんな病気になり、どんな治療法があるかを加えたものである。
宗教が、教祖の厳しい修行によってその心が進化するに従って如何に進化してゆくかの過程を、具体例を示しつつ実証的且平易に説いたのが、最後の章の「宗教の進化の具体的実証」である。
近年、一般の人々の間にも、精神世界や宗教に関する関心が次第に高まってきている。
この時に当り、宗教とは何か。宗教とは進化するものである。
宗教と科学とは相争うものでなく相補うものである。
人間の病気には宗教的次元に根ざしているものが非常に多い、等を、私自身の宗教体験と、三十年に及ぶ科学的、医学的研究結果に基づいて世に問うことは時機を得たものと思われるので、本書を出版した次第である。
第一章 宗教と科学の統一 序 世界平和と世界宗教
Ⅰ キリスト教に於ける宗教と科学の争い
- 信仰の絶対性の主張/不合理なるが故に我は信ず/最高原因と従属原因/キリスト教の独断性
- 身体性と争い/グノーシス説にみる物と心との対立/存在性と身体性、区別性/ 区別と争い
Ⅱ 物と心の対立と合一
- 物と心の対立-科学は心を排除する
- 物と心の合一/精神集中(物に対する心の働きかけ)と自己の空化/心による物の支配/無意識的合一から意識的合一へ/絶対の空への階梯と宗教の進化
- 神は自己を否定(空化)して被造物を支え給う/奇蹟は自然法則を無視するか/因果法則は神の創られたもの
Ⅲ 自然科学と宗教は矛盾しない
- 精神集中によって生した光を把える実験
実験室と実験の様子/ビデオカメラの把えた光/神霊の力なくては 付‥プロテクターの性格によるPK現象の違い/ポリグラフについて/フォトセルの把えた光を見る―ビデオカメラとフォトセルの光の把え方の差 - 実験結果の意味するもの/奇蹟は画然法則を犯さない/宗教の世界は自然の世界、科学の世界を支える
Ⅳ 宗教と科学の統一
- 宗教は科学の根底にあり、これを支え、成立させる/垂直の科学と水平の科学/垂直の科学は、自由意志により成り立つ/これからの科学
- 纏め―世界宗教への展望/宗教と科学は互いに支えあう/絶対の空化―すべてに通しる宗教
第二章 宗教の進化
I 「より大いなるもの」とのつながりで生きる
- 宗教の場合/信仰者の立場と宗教者の立場/宗教の目的
- 唯物弁証法の場合/唯物弁証法は宗教と似ている/唯物弁証法的発展、正・反・合
Ⅱ 唯物弁証法と宗教との違い
- 画然界における正・反・合/必然性と平面性/自然界での合は科学では把えられない
- 宗教における正・反・合/自由性と必然性との違い/宗教界の合は正も反も共に支える
- 弁証法と宗教とにおける「合」の違い/正、反の消滅と含有/移行と飛躍/「ある」と「ない」の違い/平面と立体
Ⅲ 神と人との対立と合一
- 合一への過程/精神集中とその目的/神の御力を感じる―神の自己否定/神は人を支え給う/棄揚ということ
- 唯物弁証法的合一と神人合一との違い/対立から合一への必然性の違い/「合」の存在次元の違い
Ⅳ 宗教の進化
- 魂の進化の階梯/ 神の痛みにより人の魂は進化をする/神と人との間には無限の階梯がある
- 宗教は進化する/合一のはしまり―霊/霊と人間との存在交渉の特徴と、ここで生ずる宗教/神と人間との存在交渉の特徴と、ここで生ずる諸宗教/宗教の階梯と宗教間の争い/宗教の進化を決めるもの/進化した宗教の特徴/教祖と教団の努力によって宗教は進化する
- 宗教の進化の階梯とカルマの理解/ 個的存在と個人のカルマ/場所的存在と場所のカルマ/宗教の進化とカルマ理論の進化/ カルマと無我説
Ⅴ 問いに答えて
- 宗教の進化は宗教体験の起きる階梯の進化
- 宗教体験によって得られる知恵とはどんなものか
- 宗教的存在次元の違いによって生ずる力の差
- 人間は進化ばかりでなく退化もするか
- Psiの科学に進みたい若人への忠告
- 世界平和への道
- どの神様と繋がれるか
- 占いには従うべきか
- ヤントラとマントラ
- 自分の考えで神霊の世界を量るな
第三章 ホリスティック・メディスン
I 「ホリステイック・メデイスン」の統一原理を求める
- 「ホリスティツク・メディスン」とは何か
- 「ホリスティツクな人間存在」とは何か
Ⅱ AMI(本山式経絡‐臓器機能測定器)で気エネルギー及び経絡機能の状態を把える
- AMIと四つのパラメーク
BPについて%
AP、IQについて - BPは気エネルギー及び経絡機能のパラメーターである
BPの流れる場所
BPの本質101BPの値は、陰陽関係にある経絡の間で、陰経の値の方が陽経の値より常に高い
APについて
AP、IQ、TCでは「陰経の値▽陽経の値」とはならない
BPの値が「陰経ハ陽経」となる時
Ⅲ BP (気のエネルギー)と身心との関係
- BPと肉体
子宮外妊娠の人のデータ
血清肝炎の人のデータ - BPと感情、精神病
怒った人のデータ
鬱病の人のデータ
Ⅳ BPと霊能との関係
- 霊能者における気のエネルギー及び経絡機能の特徴
Psiエネルギーのシステムと経穴117
或る霊能者MのAMIデータ - Mに関する霊能カテスト(光の実験)
実験室と測定法
ポリグラフについて - 光の実験から明らかになったこと
奇蹟についてキリスト教的解釈を否定する
「主観的-客観的科学」ということ126
Psiエネルギーの物理的エネルギーヘの転換 - 人間の全存在次元と、これらを結ぶもの―気エネルギー
第三章付章 人間の三つの存在性と病気の原因、予防、治療
- 物理的次元に原因のある身心の病気と治療
- 気の次元に原因のある身心の病気と治療
体質と体液・経絡
腎経の異常と腎結石気の次元に原因のある心身の病気はヨガのアーサナで治る - 霊の次元に原因のある身心の病気と治療
アストラル次元の想念と病気
アストラル次元から生した心の病気の実例
アストラル次元から生した身体の異常の実例1
カラーナの次元とアストラルの次元 - 霊の次元に原因のある病気は防げるか
プルシャの世界に身心の病気はない
プルシャの世界を目指す「行」と霊の憑依
前生と霊の憑依 - 人は再生するか
再生についての世界的反省
再生の理由と再生の実例
再生できない魂
子供と前生の記憶 - 人間の全存在次元における調和と健康をめざして
第四章 宗教の進化の具体的実証
I 或る宗教者にみる魂の進化と宗教の進化
- 神の把握のむずかしさ
子供心に写った神様
お不動様の先生
初めて見たお代様の姿
お代様の困惑 - 行のかずかず
修行時代の始まり
弘法の滝
皇踏山での行
高壷山にて158
大麻山の不動明王に詣る - 霊的めざめから霊的進化へ
ハブの脇の竜神様
玉姫様
八大竜王様
霊、神霊の世界を知る
迷信のお戒め―キツネの話
神のみ声の聞こえる人
暗夜の幽霊
不敬
神のみ力なくしては
修行時代の意味
Ⅱ 行と霊的進化
- 宗教的世界の実在と行の意味
存在の階梯
フロイトのいう宗教
宗教的世界は実在する
存在の殻
殻を破るには - 「我なきわれ」の世界へ
我なきわれの世界
各存在次元の殻を破って
地主様のこと
三位一体の働き
降りて下さる神様
自己存在の自覚
自己否定-空化―のくり返しを通して
Ⅲ 宗教の進化
- 宗教者の霊的進化と宗教の進化
個人の祈りから世界の祈りへ
折れた杉の木
神様に引き上げて戴くためには - 宗教の進化と世界平和
真の宗教とは進化する宗教
総てを支えて下さる神様
自分で神様の所へ飛ベ
国と国との争い
世界の動きをお示し下さる大神様
地球を超えた神様
神の世界の多次元性
世界平和と宗教の進化をめざして
今日は「宗教と科学の統一」というような題で話したいと思います。
去年アメリカに行ってしばらくいた間にも感じた事ですし、また今の世界情勢を考えてみていつも思うのですが、世界宗教というか、仏教だの、キリスト教だの、ヒンズー教だの、神道だのと言わないで、人間存在の根源に根ざしたような、人類だけでなくて、もし他の星にも何か人類のようなものがいるとすれば、そういう人達にも共通するような宗教が、今、非常に必要だと思うのです。
狭い地球の中にいろいろな宗教がある上に、その一つが又分かれて、やれシーア派だの、スンニ派だのと言わないで、宗教が今統一をしないといけない。
そしてそういうものが一つの支えになって、世界連邦というものが出来ることが必要だと思うのです。
食べる物が足りなくなる。そしてそれぞれの国が、自分の国が一番いいようにというので争いを起こせば、必ず戦争になって、平和にはなれない。
全体が足りないところで皆が調和をとって平和に暮らすのには、霊的な進歩というものがその時こそ必要だと思うのです。
そういう宗教的な支えがないと、やはり人類というものは破滅の方に向かうのではないかと思うのです。
玉光大神様が御降臨になって五十年になりまして、去年五十年祭を小豆島の御本宮でしましたが(註よ、五十年という年月は、神様にとってはほんの一瞬かも知れませんが、生きている人間にとっては長い年月で、その五十年の長い間、心霊相談とか人生相談とか、延べにすれば何十万という人のいろいろな相談を、母から私の代に至るまでしてきた訳ですが、それを通して言えることは、宗教を持っている家庭と宗教仝持っていない家庭とを比べてみますと、宗教を持っていない家庭というのは、その人達が一定の条件の上で経済的にも恵まれている、心配する事もない、夫婦の仲もいい、子供も健康である、そういう伏態だと、誰しも神様なんか要らなくてすむと思う。
ところが誰かが生まれつき片輪であるとか、その家には代々子供が生まれないとか、或いは長男が必ず早く死んでしまうとか、そういうようないろいろな何かが起さると、人間は何かそこに頼りたいものを求めるようになると思うのです。
我々人間の自然的な理性的な知恵で理解できない以上のものがその上に振りかかってくると、日頃は非常に穏やかで立派な家庭であって、一人一人の人が人格もあり能力もあって、事の処理が出来ていくのだが、それを超えにような事態が起さると、やはり人間はそこで少しおかしくなってしまうのですね。
何とかして病気が治りたい。何とかしてこの苦難を超えていきたい。
それが、自分だけの力に頼って、何とか人間の智恵だけに頼って解決しようとしてもできない場合、大抵はそこでその家が壊れるとか、夫婦とか兄弟の間とか親予の間がばらばらになるとか、そういうケースが非常に多い。
それに比べて両親が宗教を持っている人、そして単なるおかげ信仰ではないそういう信仰を持っている人の家庭は、最後になると崩れない。
つまり最後になると、そういう苦難を乗り超えていける智恵と愛情というのが、それと勇気が出てくるのだが、それはよく見ていると、人間以上の何かを信してそれに頼っている時に、そういう智恵や勇気が湧いてくるように思うのです。
学校も出て、頭もよかったと思われるような人の家庭が案外壊れるのが早くて、何でもないように目立たないけれども長い信仰を持っている人達の家庭が、いざという時には非常に強い結束というか、皆が本当に愛と智恵とを以てその苦難を乗り超えていった例を沢山見てきました。
今年のお正月に戴いた神様の御神言では、今年は地震がどこかにあるだろう、日本ではなく、大西洋かどこかにあるであろう。
また少し海流に変化が起さ、異常気象があって、作物や農作物にかなりの影響が出るだろうという御神言があったのですが(註2)、このところ新聞を見ると、あちこちで異常気象が起きていて、作物にかなり影響があるようです。日本はアメリカで穀物が取れなかったら、多分すぐ明日からでも食べる物が足りなくなります。
そういう状態に地球全部がなってきた時に、皆が自分の国の事ばかりを主張していたら、必ず間違いなく戦争が起きるだろうと思うのです。
そういう時こそやはり皆が迷わないで、人間はどう生きるべきか、人間が今生きているけれども、それだけが全部ではなく、ずーっと死んでも生きてるような世界があり、そういう世界と人間の世界との間に非常に密接な関係があって、お互いに影響し合って生きているのだと、そういう人間の存在の根源をもう少し宗教的な立場で理解できたら、そんなに争わなくてもすむようになると思うのです。
どうして人間は生まれてきたのか、どこへいくのかが少しでも分かれば、人間はどう生きるべきか、将来どうしなければいけないかが分かると思います。
物が足りなくても、皆で分け合って食べていけば、地球の上にはまだまだ余裕があると思う。
今の状態は非常に不均衡な状態で、アフリカでは何万も何十万もの人が飢餓で苦しんでいて、アメリカや日本では余る程食べているが、こんな状態がいつまでも続いていくとは思わない。いつか必ずそれが崩れてくる。
そういう時に、持っている人途だけがいい事になるような今の世界情勢の決め方、これはやはり先進国の一つのずるい決めがあると思います。
そういうものを打ち破って、皆の者が平等にいけるようにならないといけない。
だけど、共産主義のようなのは、人間を物としてしか見ないから、そこからは人間の本当の進歩とか、精神の成長というのはあり得ないと思うのです。
やはり根底には、精神とか霊的なものの進歩というか、成長というものがあって、生きている者の世界と霊の世界との調和がとれた時に初めて、本当の世界平和とが世界連邦というものが出来る。
こういうものを創り出す基となるような本当の世界宗教というか、仏教の教説を借リてきたインスタントの宗教とか、或いはキリスト教の教説を借りてきたインスタント宗教ではない、それらの基の大きなままの、今世界を大きく二分、三分してコントロールしているような宗教のもっと根底にあるようなものを作るような宗教、そういうものがやはり今一番必要だと思うのです。
そういうものを今摸索しながら、その基礎になるようなものを作っていきたいと、いつも思うのです。
広げていくのは、誰か他にその役目の人がやればいいと思います。
それで今日は宗教と科学の統一というのも、実は宗教が科学を押しのけるような、科学を入れないような宗教というのは間違いだと思うので、そういう話をしていきたいと思います。